親から友達へ
情報って言うと固く聞こえますが、今ではそこら中で目にする言葉ではないでしょうか。情報化社会と言われて久しく経ちます。情報過多を心配する声もたくさん出てきていると思います。
それでは、子育て世代や子供にとって、どういう付き合い方をしていくことが、求められているのでしょうか?
まず子供にとって、幼少の頃は親が唯一の情報源であったわけです。最初は目にするもの、耳にする言葉、触れる物を、全て親次第というか、それに従うしかないでしょう。しかも、それを素直に受け入れることが当たり前でので、当然その親から与えられる情報に大きく影響されるでしょう。小さい頃は絶対と思われたものも、大きくなるにつれてその割合が変わっていくのは言うまでもありません。
その次に、大きく割合を締めてくるのが周りの友達でしょう。その割合がどんどん強くなっていって、友達の言うことが全て、という時代が来る子もいます。ここでも、その友達の影響を強く受けるのは間違いありません。
ただ、友達はその都度変わっていったりするので受ける影響力や情報が変わっていったりします。それが大人から見ているとコロコロ変わるように見えるので理解も難しくなりますよね。ただ子供にとっては、その場で自分の一押しが変わってるだけで、そんなに深く考えているわけではないでしょうし、熱しやすく冷めやすい部分もあるでしょうから、判断は慎重にしなければなりません。
現代の形の一つにSNSがあります。推しのアイドルや、カリスマ、インフルエンサーの言うことや、やることに注目し、自分も取り入れようとし、その影響力は昔では考えられないくらい大きなものがあります。このような傾向は、当然大人になっても当てはまりますが、抜けきらない人も多いでしょう。
ここで1つ問題なのが、情報元の範囲の狭さです。エコーチェンバー(自分と似たような意見の集まりの中で過ごす)フィルターバブル(自分が見たい情報しか見えなくなる)など、昔は知られていなかった言葉が流行っています。この問題は、自分の周りの意見しか信じず、他の人たちの情報を遮断してしまうところにあります。
アイドルやアニメの推し、ぐらいのレベルであれば問題なくても、国家間や犯罪まで行ってしまうと笑ってはいられません。またそれは思考停止することも意味しています。あちらの意見にも何かいいところはあるんじゃないかという流れを作らないということになります。大変危険な香りがします。
範囲を広く
それでは、情報の範囲を広く取れる人はどうでしょうか。言葉を変えると視野が広いということでしょう。逆に言えばそういう人たちは、多くの情報にさらされることになるので、必然的に選択を迫られます。
その情報が今現在、自分にとっているかいらないか、その選択を早くできるか、できないか、その選択が正しいか、正しくないか、その基準を自分の中で作っていくことが大切になってきます。
線引きがないと、むやみやたらに情報に晒されることになり、気づいてみれば自分にとっての有用な情報を、取りこぼしてしまうことになります。しかもこれは個人個人によって違いますし、夫婦でも親子でも微妙に違ってくるでしょう。
他人がどうしてるかではなく、自分がどうするかというところを明確にしなければなりません。これからの時代に一番必要な能力なのかもしれませんね。
冬瓜の花の百一つ
冬瓜の花の百一つ、という言葉があります。数ばかり多く、役立つものが少ないこと。数多くあるが、本物はほとんどない、という意味です。
ランダムに流れてくるネットのニュースや動画は、AIが好みを選んでるにも関わらず、その本人にとって本当に有用なものは、1/10もないと言われています。つまりネットサーフィンというのは、振り返った時記憶に残るもの、または残しておいたらいいと思うものが、ほんの一部なのだというわけです。全てが時間の無駄というわけでもありませんが、大人たちももっと気をつけていかないといけないのではないでしょうか。
情報を選択する中で、クローズアップされるのが処理能力の有無であり、スピードであり、それが高いか低いかでしょう。洪水のように流れてくるあらゆる情報を仕分けして、今いるものを取り込んで、さらにそれを生かしていかなければなりません。当然それには個人差もかなりあるでしょうし、自分がどれだけ情報処理できているかを、客観的に把握できる力を身につけておくことも大事になってきます。その人の処理能力の高さは、周りにも影響を与え、そこから信頼へと結びついていくのでしょう。
知識とか既存の出来事などは、ネットで何でも簡単に仕入れることができます。ですからこれからの時代に必要になってくるスキルというのは、それをいかに結びつけて考えたり、いかにその人その人にとって重要な情報を抜き出したり、それを活用したりできることなのでしょう。
最後に
学校の勉強もこういう流れになってきています。知識だけを問うのではなく、応用力であり論理を問う方向に、どんどん舵が切られていくでしょう。けれども、今までだってやっていなかったわけではありません。算数は条件を元に答えを導く勉強ですし、国語は文章を読んで答えを考えます。もちろん他の教科も同様です。
情報を与えられてそれを元に答えを導く。まさに今問題になっていることを、私たちもそして子供たちも学んでいたわけです。つまり現代の問題も、その延長線上に答えは隠されているということなのです。みんな練習は嫌というほどしているわけですから。
その問題文が複雑になり、答えを出すのがややこしくなっているだけなのです。ただ基本は同じなので、落ち着いて考えればいいのに、焦ったり、いらない情報を信じたりするから、うまくいかなかっただけなのです。いらない情報まで取り込んでいるからしんどいですよ。そこをバッサリ切ってしまえば、大分楽になると思います。その情報が自分にとって、家族にとって、今必要なのかそうじゃないのか、まずはこの作業から始めてみてはいかがでしょうか。
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ぷろふぃーる 個人塾をやり始めてもう十数年。自らの子育ての経験と、毎日の塾での子供たちや親御さんとのやり取りの中で、考えていることや感じていることを綴っています。あくまで個人の意見ではあります。しかし、頑張っておられるお父さんやお母さんに少しでもお役に立てればと思っております。
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